2008年05月03日

神村+伊藤+木村 (前半1~3)

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こんにちは、木村です。

3月某日、川崎市は鶴川にある木村家にて、DIRECT CONTACT VOL.1にも出演してくださった振付家でダンサーの神村恵さんと、「見開き2ページの批評実験」というキャッチコピーで今年2月に出版された『REVIEW HOUSE』の編集長として目下活動中伊藤亜紗さんを迎え、ぼく木村覚がホスト役となって、ぼくが自分のブログ(Blog: Sato Site on the Web Site)上で今年2月から行っている「ジャドソン・ダンス・シアター」研究ノートをめぐっておしゃべりをしてもらいました。

「研究ノート」を一層理解するための、そしてそこから今のダンスを俯瞰するためのおしゃべりを目指しました。さてさて、いったいどのようなものだったかは、皆さんのお耳でご確認下さい。

是非、ぼくの「研究ノート」(←左をクリック)を参照などしながら聞いてください。今回は、二時間ほど続いたトークの前半です。後半は、あらためてGWあけにもアップします。また、4月12日に、神村さんからのご要望で、再度3人で集まり、集中した議論をしました。そこでは、神村さんのダンス観が非常に明瞭にあらわれており、伊藤とぼくのなかの「神村恵」像がかなりはっきりと更新されました。それも、後日公開致します。どうぞ、楽しみにしてください。


2006年に出版された「ジャドソン・ダンス・シアター」(ラムゼイ・バート)について → 神村さんが感じたジャドソン教会派 → 何回見ても面白いと何故思う → つまらないからこそ自分から見なきゃならない → 「トリオA」(レイナー)について → スペクタクル的ではなく、清教徒的に →ダンサーの内面が読み取れないようにしようとすることがダンスのエキシビジョニズム(表現の誇示)を妨げ、ダンスを公的にする →  トルストイ「戦争と平和」 → ウィトゲンシュタインの言語ゲームとダンスの公的な空間 → 「公的」って何? → ハルプリンのワークショップにおいて「運動の質」に注目 → モリス「岩」になる → スコアと「運動の質」 → そもそも「運動の質」って何?  


運動の質って何? → サミュエル・マチューのワークショップ、「見たいのは変容」(形ではなく必要な動き、動きの質、といいつつ、どうも「フォルム的ではない崩れたフォルム」を見ているマチュー、彼はやはり形を見ている → 自分の見方とマチューの「運動の質」についての考え方は違った → ものが落ちる、風で木が揺れているその揺れている感じ、重さにもある運動の質→「重さ」「重心」と運動の質 → 体の重さを自分のなかでキープしているダンサーがいいダンサー → 重心が一定だと運動の質が見えやすくなる? → レイナーの考える運動の質とタスク(エネルギーを日常のレヴェルに保つ) → 表面的にはリラックスして見えても、重心を絞る感じで、必死に、正確に重心をおろす → 真剣さがおかしい → 体が重心の入れ物になっている → ドルフィンジャンプ → 「このひと何を考えているのか」=謎と変態  


観客に見られること → 観客と対等にやりたい → 見られることが恐怖、不利な状態 → つねに「アウェイ」 → 内省的な「とろんとした眼」とブラウンの観客を見つめる眼 → 普段と同じテンションで → 「劇的」ではなく、と回避しようと → 翌日の記憶に残っているのは? → 見えていた景色、動きの間、手応え、、、 → あくびしている客(怒) → 「アウェイ」の疲労度 → トリシャ・ブラウンについての記述 → 一対一で「見る」 → リアルな空間の認識作業とスリル → 「インサイド」(ブラウン) → 観客をスコアにする → 理論というよりもダンサーとしての疑問から生まれる観客への意識  → 神村恵ソロ「斜めむき」について → トリシャとレイナーの外見上の違い(キャラ) → 神村恵カンパニー「どん底」について(身長) 
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posted by KS at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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